発達障害の彼を連れて旅を始めたきっかけと、我が家の最終目標。

育児雑記

Hola!アランです。今回は僕が子ども4人を連れて旅を続けるようになったきっかけと、発達障害の子の親としての目標をお話します。

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長男のアトピー性皮膚炎と発達障害

顔から足先まで血と膿だらけの幼児を見たらあなたはどう思うでしょうか?その子の親をなんて酷い奴だ、と考えるかもしれません。実際外出するとそういう目で見られることも少なくありませんでした。

我が家の長男は生まれつきの重度アトピー性皮膚炎で、1日の睡眠時間はトータル2時間前後。痒みから一日中身体中を掻きむしるため、家事は全て放棄してさすり続けてやる必要がありました。少しでも目を離せば洋服やベッドシーツは血塗れに。色々な皮膚科や小児科にかかっても、処方された塗り薬で症状はむしろ悪化しました。

一日中飲んでいた母乳を1歳で卒業してからは、常に何か口にしていないと癇癪を起こす毎日。

彼が2歳を過ぎても発語が全くないことから、発達障害も発覚。目が合わず、話しかけても聞こえていないかのように反応なし、自分の意思を示そうとすることも全くありませんでした。一応東京とはいえ高齢者の多い田舎ではアトピーにも障害にもあまりに理解がなく、支援してくれるような施設も当然ない。長女も生まれてからは外出が億劫になるほどでした。

親としていちばん辛いのが、目の前の我が子が苦しんでいるのにそれを伝える手段を持たず、彼が何を思っているのか理解してやれず、何をしてやればいいのか見当もつかないこと。まだたとたどしくて他人が聞いてもなんて言ってるかわからないような幼児の一言ひとことが全てわかる、言葉が足りなくても伝えたいことが理解できる、それが親として当たり前だと思っていたから。

多くの知人から「いい医者」や様々な情報もいただいてとてもありがたかったのに、残念ながらどれも長男には当てはまりませんでした。

「親なんだから早く治してやれ」と言う心ない人も。

自分より大切な我が子がこんなに苦しんでいるのに何もしてないわけがないです。

インターネットで情報を探す日々。何を試しても効果がなく、日に日に癇癪が増えていく長男。彼にかかりっきりで、大人しいのをいいことにまだ赤ちゃんだった長女にあまり手をかけてあげられず、頼れる親や知人もいない。ある夜嫁は死にたいと家を出て車道に横になろうとしました。連れ戻せたものの完全に行き詰まってしまいました。

2人も子どもがいてこんなに幸せなことはないはずなのに、先が見えなくなっていました。交代で見ていたとはいえ、我々自身も睡眠時間がほとんどなかったのも原因かもしれません。

そんな時、海外に住んでいる友人が、迎えに行くからしばらくうちに来たら、と声をかけてくれました。

それで本当に気持ちは救われたものの、当時長男の肌や障害はとても手に負えない、とてつもない迷惑がかかると結局諦めてしまいました。今思うと友人にも長男にもとても失礼だったと後悔しています。

その後海外ではアトピーや障害に対してどんなアプローチをしているのか?とふと思った時、書店でハワイに行ったらアトピーが治った、という書籍を見つけ、グアムに行った時確かに長男がよく眠れていたのを思い出しました。

スペインに勢いで飛ぶ

そんな話をしていると、検索大好きな嫁が、

「スペインの海水がいいらしい」

「友達が勧めてくれた病院でも海水療法でスペインのを使っている」と言い出しました。

今まで処方された薬達よりはナチュラルなものだから説得力はなくもないけど、癇癪を起こしっぱなしの長男とまだ1歳の長女を連れて10時間以上飛行機に乗るなんて不可能だ、という思いもありました。ただそれ以上に疲れ切っていて思考が回らず、思い切ってバルセロナに飛ぶ事になりました。

子どもにかなり優しい航空会社だったからか、意外なことに長男はフライトをとても楽しんでいました。子連れでの長時間フライトと乗り継ぎなので体力的には疲れていたはずですが、現地に着く頃には持っていた不安は消えていました。

長男が何も食べていなくても癇癪を起こさない。肌も掻かない。ずっと笑顔。

バルセロネータは近かったものの、初日は空港からアクセスの良い所に宿泊したのでまだ海には入っていません。それでも全く掻かない。長時間のフライトだったのにも関わらず周辺をたくさん散歩しました。自身が少し現地の血が入っていることもあるかもしれないけど、とても気持ちのいい、何かから解放されたような散歩でした。そして僕以上に長男はとても生き生きしていました。

翌日から、普段何も要求することができない長男に、行き先をお任せすることにしました。

癇癪どころか綺麗な裏路地や市場、大聖堂前の広場や公園を一日中楽しそうに歩きました。好き嫌いすることもなく現地の食事を思う存分楽しみ、信じられないほど夜はぐっすり眠りました。続けて6時間も眠るなんて、普段はありえない事でした。

まるで障害に遮られた「本来の長男」の姿を見ているようです。周りにいる3歳の子ども達と何も違いません。今まで一切関わる事のなかった長女とも一緒に遊びだし、彼女をとても喜ばせました。

帰国後の悪夢復活

2週間の滞在はあっと言う間に過ぎ、傷だらけだった肌は別人のように綺麗になりました。

帰国したらまたぶり返すのでは、と思うと怖くて、辛くなりました。

飛行機の乗り継ぎ地点、ドバイまではそんな様子が見られず、このまま大丈夫かも、もしかしたら喋りだすかも、と思ったほど。

けれどあと1時間で日本に到着する、というところで、掻き出してしまった。

あんなに綺麗に治っていたのに。喋り出しそうだったのに。

1週間ほどでまた肌は悪化し、癇癪も元通りに。

なぜか沖縄の海の目の前に同じ期間滞在しても治ることはありませんでした。

海外移住を考えながら、まずは大好きだった職場を離れ特別支援の整っている都心に越すことが決まり、空港へのアクセスがよくなったことで旅に出る機会が増えていきました。

海外へ行くと確実に長男の肌は治り、普段引っ込み思案な長女もいつの間にか友達を作り、理屈で理由は説明できないけれど、目の前の子ども達が確実に大きな成長を見せてくれる旅は、いつしか我が家には欠かせないものになっていました。

現在とこれからの目標

そして現在9歳の長男は、旅先で学んだ食事療法でアトピー性皮膚炎は完治。さらに先日生まれた三男のオムツ替えや掃除に洗濯などの家事を自主的に手伝ってくれたり、笑顔で長女や次男と追いかけっこやキャッチボールをしたり(ルールの判る遊びはまだそれくらい)、見えない位置からボソっと名前を呼んでも走ってきてくれたり、5年前には全く想像できなかった彼の姿を見ることができています。なんか今はむしろ下の子達のほうが手がかかる…。育児の大変さは障害の有無に関係なかった!!と実感できている今がとても幸せです。

メンタル面は歳相応、むしろしっかりしているのですが、やはりまだ言語認知がどこかでつまずいている状態なので、なんとかそのつまずきを解消してあげられればと日々模索中です。生活面での自立はもう家事がほぼできるので心配ないのですが、大人になってから初対面の人とコミュニケーションがとれないのは本人も周囲も困ってしまうので、高校卒業までには話せるようになっているのが目標。もちろん無理強いするのではなくて、色々なアプローチで発達を促していきたい。

長男だけでなく下の子達も理屈でねじ伏せるのではなくて、一人ひとりのエッジを常に把握してそこに働きかけていけたらなと思っています。ちびっこって昨日できなかったことが急にできたりして本当にすごいですね。

最終的な野望

そしてこれは子ども達が自立してからの、最終目標。

私が生まれたフィリピンのとある島は、とても貧しくて

私自身も日本人男性と結婚した義母が養子として日本に連れてきてくれるまでは、栄養失調だったりまともな教育も受けられませんでした。

それでもいつかは生まれ故郷に帰りたいし、子ども達も連れて行きたい。

実の母が亡くなった場所。幼児期育ててくれたひいひいおばあちゃんとの思い出が詰まった場所。

そこにいつか学校を建てるのが野望です。

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