親になってから読む「おおきな木」

育児雑記

長女が次男と三男に上手に読み聞かせているのを聞いて号泣してしまい、子ども達に困った顔をされてしまった絵本がある。

実家に長い間眠っていたからと送ってもらったシルヴァスタインの”The Giving Three”。

子どもの頃読んだ時はさっぱり作者の意図がわからなかった。

人間ってなんてわがままなんだ!木が可哀想じゃんか!!とそれきり一度も読まなかった。

「いい本なんだよ。大人になったらわかるよ」と母に言われた通り、4児の親になった今、ようやくこの絵本が伝えたい事が理解できた気がする。

母親はお腹に命を授かってから子どもが自立するまで、全てを捧げる必要がある。

理由をわかっていても大変なつわり期間や出産(産声を聞いた瞬間、とてつもない達成感と幸福感で全てが報われるが)、そして赤ちゃんが誕生してからはもっと大変で、気付けば一日が終わっている。

ちなみに原書を読むと、この木のことをSheと書いているので、作者の中では木は女性。

父親も仕事からくたくたになって帰宅してから嫁の愚痴を聞き、休日は子どもと遊び倒す(夫ロナルド曰く休日のほうが疲れる)。

色々な家庭の事情はあるにしても、親鳥が食べさせ飛び方を教えなければ小鳥は死んでしまう。

この本のお陰で自身も親に当たり前にそうしてもらっていたのだと気付かされる。

我が家の場合は特に長男が自閉症なので、与えるべきものはますます多い。少なくともあと20年は、全て捧げる日々が続く。

それでも、これ以上の幸せはないという確信がある。

「大きな木」のりんごの木も、シルヴァスタインも、その確信を持っている。

りんごの木が、ただひたすら喜びだけを見出していたことに読者は注目すべきである。

訳者の本田錦一郎さん(現在販売されている本の訳者は村上春樹さん)による「大きな木」あとがき

全てを持っていかれても、それが犠牲だとは微塵も感じない。

そんなふうに思えるようになった時にやっと人生が始まる気がする。もちろん親と子という関係ではなくてもいい。

シルヴァスタインの素晴らしい人柄を感じるのは、この名作絵本をそんなに気合いを入れずに描いた、ということ(これもあとがきにあるが、売れすぎてびっくりしたらしい)。

きっと彼の中では「与える喜び」という概念は当たり前すぎたのだろう。めっちゃいい人だったに違いない。

作者や訳者の人柄が伝わってきたり、読んだ時によって全く受け取るものが違う作品ほど、長く人に愛されるのだと思う。

本田氏が訳してくださったように、いつか我々も「おおきな」木になれるだろうか。

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